心の問題を生じる人の多くが、自我の確立という人間として生きていくうえで必要な柱が脆弱です。
どんな圧力を受けても、「私」という柱がしっかりしていれば、不安を感じてもそれほど揺らぐことは少ないのです。
この柱が、自己の責任で自己の決定に基づき思考したり行動取れれば、比較的楽なのですが、この柱の支えの大部分が、自分で作ったものではなく、誰かの価値にいわば乗っ取られているのです。
幼いころは、それでも十分通用しますが、大人の世界では、それまで通用していたはずのやり方が全く通用しなくなってしまいます。
そこでどうしたらよいかがわからず、困り果てたうえで、不必要な症状で対処するようになります。
それが心の問題の基本的な表れとみてよいでしょう。こうした自己確立の脆弱さは、親の行動として三つ上がることができます。
「過保護」
「過期待」
「過干渉」です。
これらが厄介なことは、親は子どもの不安を取り除いてやろうという善意に基づいていることが多いということです。しかし、この親の善意は、子どもの心に起こっていることとはまったく異なった方向に向かっています。
自動思考の厄介な傾向に「完璧主義」というのがあります。
うつや不安に陥りやすい人の多くは、この完璧主義を持っています。
過度な期待は子どもの心をずいぶん痛めつけます。
過度な期待は、子ども自身が自ら考え行動する態度形成を失って、親の期待に応える自分を追い求めます。
親の期待に応えられているうちは問題は少ないのですが、たいていは期待に応えられなくなって、破たんしてしまいます。
子どもは疲れ果てて、その状態を何とかしたいと思っても、期待に応えられない自分や期待されていることばかりが気になって、自分がどうしたいのかどうすべきなのかが見いだせないのです。
こうした過度の期待は
「ああ、私の力は大したことないんだ」という自信のなさにつながり、自己評価の低い確信を植え付けます。
親の期待に応える完璧主義形成が手伝って、ちょっと失敗したりつまずいたり低い自己評価がさらされたりするようなことが起こると、居ても立っても居られないくらいに精神的に不安定になってしまいます
。ちょっとした失敗でも、人生を否定してしまうところまで追い込んだりします。